羽賀研二と梅宮アンナは結婚しなくて正解だった?梅宮辰夫の父親としての役目

アイドル

元タレントで服役中の羽賀研二(はがけんじ)がまた逮捕されたというニュースが飛び込んできました。今回は「資産隠し」の容疑です。

羽賀研二といえば、思い出すのがモデルの梅宮アンナ(うめみやあんな)。二人はかつて恋人同士であり、世間を騒がせていた時期があります。二人は結婚するのではないか?と世間は見ていましたが、父親である梅宮辰夫は相当気をもんでおり、最終的にはこの二人は破局してしまいます。

羽賀研二と梅宮アンナが「バカップル」と言われ恋人同士だった時から筆者は見てきたので、昭和の生き証人として(笑)、今回は当時のことを思い出しながら、どこのサイトよりも詳しく、二人のことについてまとめたいと思います。


羽賀研二と梅宮アンナは恋人同士だった

アイドルで俳優だった羽賀研二と梅宮アンナはかつて恋人同士でした。「美男美女」のカップルとして、当時は世間を騒がせていました。

しかし世間が騒いでいたのは、二人が「美男美女」だったからという理由だけではありません。

当時から羽賀研二にはキナ臭さがあり、また梅宮アンナの奔放さに父親である梅宮辰夫がハラハラしている構図があり、世間はそれがどうなるのか、かたずを飲んで見守っていました。

それでは、羽賀研二と梅宮アンナ、それぞれ二人のことについて振り返ってみます。

 

羽賀研二受刑者とは

今は受刑者となってしまった羽賀研二は、1961年7月21日に沖縄に生まれます。

本名は當眞 美喜男(とうま みきお)

母親は日本人、父親はアメリカ人です。父親は沖縄に駐留していた米兵で母親はホステスをしていました。しかし彼の父親は羽賀研二が生まれてすぐアメリカに帰国してしまい、援助も何もしませんでした。そのため生活は困窮していました。

「幼稚園の頃の家は、知り合いの電気店の廃屋同然の納屋。風呂とトイレは母屋で借りる。祖母は内職、母親はスナックで働き、夕飯が店の乾き物だったこともあったとか……。また暗くジメジメした室内にはカビが繁殖、おかげで羽賀と祖母は体調を崩すほどだったとか。羽賀も小学2年から中学卒業まで新聞配達を続け、家計を助けていたそうです

極貧で母親は水商売、本人は容姿端麗なハーフ、それゆえ子どもたちの中では目立つ存在だったのか、小・中学校時代は相当いじめられ、3回も自殺未遂をしたほど生活環境はつらく厳しいものだった。

…とあるように、沖縄にいた頃は、苦労して育った印象を受けます。

高校時代はバスケットボール部に所属していて、インターハイに出場した経験も持っています。

沖縄市内のジーンズショップで働いていた時に、たまたま訪れていた東京の芸能プロダクションの社長にスカウトされたのだ。高校3年生の時だった。

これが芸能界入りのきっかけで、1981年、ミュージカル『ザ・ファンタスティックス』で正式に芸能界デビューを果たします。

彼がブレイクしたのは翌1982年。タモリの『森田一義アワー 笑っていいとも!』がスタートしたのですが、その時彼は「いいとも青年隊」に起用されたのです。

これで一気に知名度があがった羽賀研二。その後は数々のバラエティー番組に出演。またテレビドラマや映画にも役者として出演するようになります。

タレント梅宮アンナとの交際が発覚したのが1994年。

おそらくこの頃が一番彼にとって幸せな時期だったのではないでしょうか。

 

梅宮アンナは梅宮辰夫の娘

梅宮アンナは当時、人気モデルであり、雑誌「JJ」の表紙を飾るだけではなく、数々のファッション雑誌で活躍していました。

ファッションリーダーとしても、当時の若い女性達の憧れの的であり、今のハーフタレントの草分け的存在でした。(羽賀研二もある意味、ハーフタレントですが)

彼女の父親は俳優の梅宮辰夫。

当時から実力派俳優として世間に知られていました。

彼は「夜の帝王」として名を馳せていたこともあり、結婚前はかなり女性と遊んでいたと言われていました。

梅宮アンナの母・クラウディアさんは、彼が当時通っていたクラブでホステスをしていました。

二人はその後結婚するのですが、二人とも再婚同士。

かなり遊び女性を泣かせたと言われる梅宮辰夫ですが、クラウディアさんと結婚し、娘の梅宮アンナが生まれると、クラブ通いも、女遊びもピタッとやめてしまいます。

その後は「良きパパ」となりますが、娘である梅宮アンナにはどうやらかなり甘かったようです。

 

羽賀研二の借金

羽賀研二は梅宮アンナとつきあっっていた頃には既に多額の借金を抱えていました。

世間にもイケメンタレントとして認められ、今までの地獄のような生活とは別れることができた。しかし、彼の中では極貧への恐怖心というものがくすぶり続けていた。その反動から派手な生活を送り、借金を抱えてしまったんでしょう。

芸能人としての見栄を保つためだったのでしょうか。彼が贅沢な生活をするために使い込んだお金は約2億にものぼったと言われています。

 

羽賀研二と梅宮アンナの写真集

1994年から羽賀研二と付き合い始めた梅宮アンナ。世間からは「バカップル」と呼ばれるようになります。(バカなカップルという意味ですね。)

そんな中、二人は1995年に「アンナ 愛の日記」という写真集を出版します。

この写真集はいわゆるヌード写真集で、羽賀研二も登場します。当時「ペアヌード写真集」と言われました。

カメラマンはあの篠山紀信(しのやまきしん)で、メキシコの西部の海外で撮られたものです。

当時、この写真集は借金の返済のために撮られたと言われていましたが、梅宮アンナは

「彼の借金返済のためって報じられたけど全然違う。篠山さんに撮ってもらって、思い出に残したいという私の発案だったの。自分で電話番号を調べて、篠山さんに連絡したんです」

と2019年のインタビュー(デイリー新潮)で答えています。

なお、父親である梅宮辰夫には、「裸は撮らない」と嘘をついて、撮影にむかったとも答えています。

 

羽賀研二と梅宮アンナは撮影時から破局しそうだった?

実は、この写真集の撮影する頃から二人の仲はぎくしゃくしていたといいます。

カメラマンの篠山紀信は

『アンナちゃんと研ちゃんは面白いね。普通のカップルはシーソーみたいに、男女の愛の重さで上になったり下になったりする。でも二人の場合、アンナちゃんの愛が大きすぎるから、彼女がずっと下、研ちゃんが上にあがりっぱなしだ』と話し始めた。そして、一呼吸置いて、『アンナちゃん、飛び降りちゃいなよ』と言ったんです」

つまり、

愛情の上に胡坐をかく羽賀に対し、彼女が離れれば、有頂天から奈落へ転げ落ちると伝えたわけである。

寸鉄のごときその言葉に心を貫かれた羽賀は焦って態度を改め、彼女との関係を修復。絡み合うヌード撮影も翌朝から順調に始まった。

もしこの時、二人がペアヌードを撮っていなければ、二人の破局はもっと早く訪れていたのかもしれません。

 

羽賀研二と梅宮アンナの破局理由

結論から先に言うと、梅宮アンナが羽賀研二に疲れてしまったのが破局の理由です。

なぜ疲れてしまったかというと、当然「借金」がその大きな理由。

しかし、その前にもこんなエピソードがあります。

 

羽賀研二の「浮気」

アンナと羽賀研二が同棲するようになる前にも、部屋を訪ねると知らない女性と羽賀がベッドで寝ているところに遭遇

梅宮アンナは一度は別れる決心をしたといいますが、羽賀研二に泣きつかれたため思い直し同棲することになります。

このように羽賀研二という男性は、梅宮アンナと付き合いながら、他の女性達とも関係していたのです。

実際、羽賀研二には結婚を約束した8歳年下の女性の存在が浮上したり、元グラビアタレントだった桜庭あつことの浮気報道際もありました。

 

羽賀研二は梅宮アンナに借金をさせる

そしてある日のクリスマス。

クリスマスの日に誘われてディナーにいくと借金の金利計算をひっさげてお金を貸しますという男性と三人同席させられ保証人の欄にサインをさせられたこともあったという。

冷静であれば、保証人のサインもしないでしょうし、そんな男性とはすぐ「サヨナラ」するはずなのですが、やはり当時の彼女は、羽賀研二を信じ、深く愛していたのでしょう。

また羽賀に言われて、お金を貸してくれるひとがいれば土下座して頼みにいったりと、愛する羽賀のためならなんでも助けてあげたいという思いしかなく、どんどんふかみにはまっていったという。

これは彼女ならずとも、恋をした女性が陥る心理ですね。勿論、男性にも言えます。

 

羽賀研二は梅宮辰夫に借金の保証人を依頼

1998年7月、羽賀研二は彼の生まれ故郷である沖縄のショッピングセンターにレストラン3件をオープンさせる事業を手がけていました。

マスコミを呼びパーティーも行い、話題作りも完璧の状態。

ところが、そのオープン当日、オープンの2時間前になって、「設備費用の4千万円が未払いのため、オープンできない」というとんでもない事態になってしまいます。

そして羽賀研二は梅宮辰夫に、スポンサーに出資してもらうための保証人になるよう頼んだといいます。 梅宮辰夫はしぶしぶ保証人となり、しかも知人に声をかけ娘のアンナの名前でお金を借りることになりました。

その時、親に迷惑をかけてしまったことがとても悲しく親に土下座をしてアンナはわびたという。

羽賀研二の厚かましさと経営できないのに事業をやろうという頭の悪さに驚きですが、問答無用で彼を切らなかった梅宮辰夫の度量の大きさにまた驚かされます。

しかし、実際には、

梅宮はアンナやマスコミが集まっていることも考慮し、保証人として署名をしたという。しかし、すでに4000万円は用意されており「今思えば確信犯。逮捕されて当然」と振り返る。梅宮によると結局は借金の一部を肩代わりした形になったようで、羽賀容疑者とともに返済を続けているという。

つまり羽賀研二の言った「4千万円が未払いでオープンできない」というのは嘘で、最初から梅宮親娘にお金を出させようという魂胆だったということのようですね。

 

友人の結婚式で羽賀研二との破局を決意

その後、月100万円以上の借金の返済に追われることになった梅宮アンナ。

さぞかし疲れ果てていたことだろうと思うのですが、その我慢の糸がプッツリと切れたのは友人の結婚式でのこと。

あるとき友人の結婚式にアンナと羽賀が出席したときに最初の共同作業と、ケーキカットをしているのをみて

「婦の共同作業ってこんな簡単なことからはじまるんだわたしは一体なにをやっているんだろう」と気が付いた

そのときの羽賀の表情をみると何も感じていないような表情をしていて、まだ「おれたちも色々あったけど、はやく結婚したいね、とか言われてたらちがったかも」

とアンナは述懐していた。

この結婚式はハワイで行われたのですが、ハワイから戻った梅宮アンナはそのまま引っ越しの手配をし実家に戻り、二度と羽賀研二とは会うことはありませんでした。

 

羽賀研二は「誠意」を梅宮辰夫に見せたのか?

梅宮辰夫は最初は娘と羽賀研二の交際については反対はしていませんでしたが、次第に羽賀研二の本性がわかり、二人の交際に反対をするようになっていました。

その時に羽賀研二は、ワイドショーなどでさかんに「誠意をもって」とか「誠意を示します」など『誠意』という言葉を連呼したため、 「征夷大将軍」を文字って「誠意大将軍」と揶揄されるようになりました。

しかし彼の嘘つきかげんの前には、この「誠意」も虚しい言葉になってしまいました。

彼は一度も梅宮アンナの父に「誠意」を見せることなく梅宮一家から去ることになりました。

 

羽賀研二の今現在は?

1999年に梅宮アンナと破局した後、彼はジュエリーブランドを立ちあげ、実業家に転身します。

「最初は客を呼び込む看板だったんですが、自身も販売員になったところ、売り上げトップに。その後、販売会社は年商30億円へと急成長しました。マダム相手のスキンシップ営業が功を奏したんでしょう、女性を扱うのは彼の得意中の得意ですからね(笑)。彼いわく『500万円の宝石を売ることは簡単』だったそうです」

2002年には芸能人の長者番付29位にランクインするほどの好調ぶりを見せ、目黒に3億円の豪邸も購入

そして2004年には数億円だった借金を完済したと言います。

しかし2001年には詐欺事件を起こしていますので、詐欺をしたお金で借金を返したのではないかとも言われています。

また2006年には、暴力団を使って、返済を迫る会社社長を脅迫し、翌年に逮捕されます。

そして現在は、知人の男性に未公開株を売りつけ、およそ3億7000万円をだまし取った詐欺などの罪で服役中です。今年中には刑期を終え出所する予定でした。

しかしまた今回はあらたな罪で再逮捕されてしまいました。

それは、詐欺被害者への賠償を免れるため、元妻に資産を譲渡したように見せかけたとした罪です。

今回の再逮捕で出所は難しくなったと言われています。

 

羽賀研二と梅宮アンナは結婚しなくて正解だった

1月4日に放映された『中居正広のキンスマスペシャル』に出演した梅宮アンナは羽賀研二と交際していた時に背負わされた借金の額を聞かれて、「8千万円」と答えました。

当時交際に反対する梅宮辰夫を、梅宮アンナは頑固な父だと思っていたことでしょう。しかし父親の目は確かなものでした。

「夜の帝王」として遊んでいたこともある経験がある梅宮辰夫だからこそ、救いようのない「悪いやつ」だというのを梅宮辰夫は見抜いていたのでしょう。

梅宮アンナもその後結婚し、出産しますが、結局離婚します。そしてその後不倫をするなど、あまり幸せとは言えないような人生を送っています。

それでも、羽賀研二と結婚するよりは良かったのかもしれません。

梅宮辰夫には「稀有のワル」と呼ばれていた羽賀研二ですが、彼もその後結婚し、いまでは娘の父親です。

娘は父親がしてきたことや刑務所にいることはまだ知らないでしょう。この娘のことが将来どうなってしまうのか心配されるところです。

ところで、、

梅宮アンナと羽賀研二が破局した頃、木村拓哉と工藤静香は交際しはじめるようになります。

木村拓哉と工藤静香離婚危機の噂がまた囁かれているが、別居は本当なのか 

 


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