現在、日本を拠点にして音楽活動をしているマーティ・フリードマンさん。
古くは鈴木亜美、高見沢俊彦、相川七瀬(敬称略)などとも仕事をしたり、また、ももいろクローバーや声優などとも共演したりしてきました。
石川さゆりのさん「天城越え」をメタル風にアレンジしたりするなど、J-POPにも大きく貢献しています。
なお、彼はアメリカ人ですが、現在は日本に住み、日本の芸能界で大活躍しているので、日本の「芸能人」としてこのブログで取り扱いたいと思います。
「マーティー・フリードマンって誰?」という人は、彼のプロフィールも加えましたので、どうぞこの後をお読み下さい♪
マーティ・フリードマンの身長はどれくらい?
マーティ・フリードマンの身長は 168 センチ です。
日本人成人男性の平均身長は171センチですので、それと比べると3センチほど低いことになります。
身長が高く見えるのでちょっと意外でしたが、日本人男性の平均とさほど代わりなく、このあたりも日本人が彼に親しみを持てる要因かもしれませんね。
ちなみに、アメリカ人の成人男性の平均はどれくらいなのでしょうか?
調べてみたところ、アメリカ人の20歳以上の男性の平均身長は 175.7センチです。
白人(20〜39歳)の男性に限定すると平均身長は178.2センチです。
アメリカ人と比較すると7〜10センチほど低いということになります。
なお、上のアメリカ人の身長に関する数字は、ウィキペディアの「List of average human height worldwide」に掲載されていた数字です。
マーティ・フリードマンの体重は?
それでは彼の体重はどれくらいあるのでしょう?
こちらは残念ながら公開されていません。
痩せ型に見える彼ですが、意外と腕の筋肉は立派ですね。
マーティ・フリードマンのプロフィール 本名:Marty Friedman 生年月日: 1962年12月8日 出身地:ワシントンD.C (アメリカ) 活動:1982年ー |
現在、日本の芸能界で活躍中のマーティ・フリードマン。テレビで見ることも多くなりました。そして何より日本語が本当に流暢ですね。
どうやって彼は日本語を勉強してきたのでしょう。また、日本に来る前はどんなことをしていたのでしょうか。
マーティ・フリードマンはメガデスの出身
ご存知の方も多いと思いますが、マーティ・フリードマンは、日本に来る前は、アメリカのヘヴィメタルバンド「メガデス」のギタリストとして在籍をしていました。
「メガデス」といえば、「スラッシュメタル」のバンドとして有名です。
「スラッシュメタル」とは、ヘヴィメタルにハードコアの要素である「過激さ」を加えた音楽形態です。
この「メガデス」と、「メタリカ」「スレイヤー」「アンスラックス」の4バンドは、「スラッシュメタル 四天王」として、1990年代から2000年代始めにかけて、広く認識されていました。
マーティはこのバンドに1990年に加入し、2000年初頭に脱退しています。
原因は色々言われていますが、「メガデス」のリーダーだったデイヴ・ムステインとの確執が大きな原因と見られています。
確執の原因は音楽の方向性の違いだったようです。マーティは、
「ポップスならポップスのアルバム、ヘヴィメタルなら信じられないくらいヘヴィなアルバムを作りたい。中途半端なのは一番嫌だ」
と主張したそうです。ところがアルバムに採用されたのは、
「ポップスでもヘヴィメタルでもない中途半端な曲」ばかり
ところが、デイヴムステインはデイヴムステインで、インタビューで
「マーティはメガデスを日本のバンドのB’zみたいにしたがっていたんだよ」
と答えています。
デイブ・ムステイン
お互い行き違っていたのかもしれませんが、このほかにも、マーティの、「Breadline」のギター・ソロを勝手に差し替えられてしまったという事件もあり、そのこともマーティ・フリードマンに、「メガデス」から脱退を決意させる要因の一つとなったようです。
この頃マーティは既に「日本」と「日本の音楽」で頭がいっぱいになっていたようで、アメリカにいても日本の音楽しか聞かなくなっていたと言います。
マーティ・フリードマンはメガデスにいる頃から日本語を勉強していた
マーティ・フリードマンは「メガデス」加入後、彼は世界ツアーの移動時間を利用して、通信教育で日本語の勉強を始めるようになりました。
音楽(バンド)と勉強(日本語)の両立って大変そうですが、スラッシュメタルのバンドマンがツァー移動中に一生懸命勉強している姿って、想像するとなかなか、かわいいですよね(笑)
マーティ・フリードマンの日本語
実はマーティは「メガデス」に参加する前に、「カコフォニー」というバンドに在籍していたことがあります。
この「カコフォニー」時代に彼は日本にツァーで来日したことがあります。その時の来日で彼は更に日本に興味をもったといいます。
しかしこの前から既にマーティには「日本」や「日本語」への興味の素地ができていました。
マーティ・フリードマンはハワイで日本の演歌を聞いていた
この「カコフォニー」からさかのぼり、マーティの幼少時代。
マーティ・フリードマンの父は「国家安全保障局」に勤務しており(おかたい仕事なんですね!)、9歳から11歳まではドイツの米軍基地内で暮らしていました。そして18歳からは、また父の仕事でハワイに住むようになります。
このハワイで彼は初めて日本の「演歌」を聴くことになります。
そうです。日系人用の日本語のラジオ局から流れてきたのが演歌だったんです。ボーカルの歌い方がすごく興味深かった。何を歌っているかわからないけど、音だけで情熱的な感情が伝わってきたんです。
演歌は「こぶし」が重要ですよね。これと同じことがギターでできたら、他のミュージシャンと異なる個性になると思いました。ハワイにいた時は時間がたくさんありましたから、演歌を分析してギターをかなり弾きこんでいましたね。
つまり、18歳の頃から、「日本語」という言葉に触れていたということですね。
マーティ・フリードマンが日本語を勉強しようと思ったきっかけは?
その後ハワイからサンフランシスコに戻ったマーティは新しいバンドを結成しました。
そのバンドはインディーズバンドだったのですが、日本でライブをすることになりました。
日本に降り立ったら、無名のミュージシャンなのにスターのように扱ってくれた。日本のスタッフは非常に優しかったですし、予定表も用意されていましたし、何もかもが時間通りで、ちゃんとしていた。そんなの見たことがなかったから感激しました。そんな扱いはアメリカではされたことがありませんでした。
僕たちのような無名のバンドにも、敬意を払ってくれて、大切に扱ってくれて、音楽もちゃんと聴いてくれた。「この曲のBメロは素晴らしいです!」って、そこまで聴いてくれたの?と感動しました。
とにかく、その感謝の気持ちを伝えたくて、日本語で挨拶ぐらいはできるようになりたいと思ったんです。それと、周りの人たちは日本語で話しているから、僕たちはさっぱりわからなかった。それは僕にとって興味がある重要な内容かもしれないって思ったら、少しはわかるようになりたいと思ったんです。
日本で受けた新鮮な驚きや感動が、マーティを「日本語」というものに興味を引きつけるようになったということですね。
「メタリカ」のツァーの移動途中でも一生懸命勉強したおかげで、彼はアリゾナ州立大学の「日本語弁論大会」で優勝ほどになりました。
その弁論大会で話をしたテーマは「国際結婚」。彼はマンガ・アニメやクールジャパン文化には興味がなく、せっかく大学で話すのだから、もっと深いテーマにしようと思い、この「国際結婚」をテーマに選んだとインタビューに答えています。
またこの頃受けた日本語の雑誌のインタビューでは、通訳無しで答えることもできるほどになっていたそうです。
マーティ・フリードマンの天城越え
2004年に来日したマーティ。
特に日本にコネもなくノープラン。いくら世界的に有名だった「メガデス」に在籍していたとはいえ、日本の芸能界では無名にも等しい存在。
それでも、J-POPが大好きだった彼は2005年には本格的に日本に移住。友人の紹介で相川七瀬さんと知り合い、彼女のバックバンドのギタリストとして参加するチャンスに恵まれます。
その後はテレビの出演も増え、活動の場をどんどん増やしていくようになります。
うり
演歌の石川さゆりのさん名曲「天城越え」をアレンジし、日本古来の楽器の琵琶(びわ)とメタル・ギターのコラボした演奏は鳥肌ものです。
2011年の東日本大震災では、被災者のために、メガデス時代のギターをすべてチャリティーとしてオークションに出品。 2016年には文化庁から「日本遺産大使」に任命されます。
前世が日本人だったのではないか?と思うほど、日本に馴染んでいるマーティ。
2012年にはチェロ奏者の奥田日和さんと再婚したマーティ・フリードマンですので、これからもずっと日本に住み続けていくことでしょう。
マーティ・フリードマンの妻(嫁)のことについてこちらに書きました。