モーリーロバートソンは若い頃から天才だが実は広島育ちでパンクロッカー。やんちゃな過去も?

文化人

バラエティ番組でも見ることの多くなったモーリーロバートソンアメリカ人ですが日本語がペラペラ。しかも発音が良すぎて日本人のようですね!

今回は彼の若い頃のことを中心に取り上げたいと思います!

彼は実は幼少の頃、日本で育っています。そして高校時代にはパンクロックバンドを組んでいました。

筆者もパンク・ロックが好きですし、また、どうやったらあんなに日本語が上手になるのか知りたいと思いました。そんなところに焦点を当ててみたいと思います。


モーリーロバートソンは天才!

ジャーナリスト、DJ、ラジオパーソナリティ、ミュージシャン…と沢山の肩書があるモーリーロバートソン。米国籍ですが、日本を中心に活動しています。

テレビのトークでの彼の日本語を聞くと、外国人に特有のアクセントやイントネーションの違和感が全くといっていいほどありません。しかも、難しい言葉を沢山知っていて、それらをうまく使いこなしています。

頭がとてもいい人なんだろうな〜と思いますね。

 

モーリーロバートソンの漢字能力がハンパない!?

彼が「天才!」と思わせるエピソードが、彼の漢字能力。

2016年から放映されている『超問クイズ』は日本テレビの人気番組ですが、それに彼は出演し、難しい日本語の言葉や漢字を答えています。

この番組では一般的な日本人も答えられない難問が出てきます。

例えば、「躊躇(ちゅうちょ)」という漢字。みなさんは書けますか?

読めてもなかなか書くのは難しいこの漢字を彼は正しく書きました。この他にも難しい漢字や語句の問題をほぼ間違わずに答えています。

 

モーリーロバートソンは東大とハーバード大学に同時合格

実は彼は、東京大学ハーバード大学同時合格もしています!

しかもこれだけではなく、MIT(マサチューセッツ工科大学)、スタンフォード大学、UCバークレー、プリンストン大学、エール大学にも同時合格しているのです。

これも彼が「天才!」と思わせるエピソードですね。

モーリーは1981年に「東京大学 理科Ⅰ類入学」に合格し通いますが、結局一学期で中退してしまいます。

そして翌年1982年に「ハーバード大学」に入学。美術学部で電子音楽を専攻します。

 

モーリーロバートソンは広島で育った

彼は生まれはアメリカのニューヨーク彼の父親はスコットランド系アメリカ人で医師をしていました。

1963年1月12日に生まれたモーリーは、生後2か月から幼稚園に通う頃まではサンフランシスコに住みます。

そして1968年、彼が5歳の時に父の転勤で、広島県広島市段原(現・南区)に移り住んで来ました。

 

1973年:完全に広島っ子になったと認識し、「日本語や漢字を使えるようになりたい」と外国人のための学校を辞め、小学校5年の2学期から同市佐伯区の公立小学校である広島市立五日市南小学校に転校。

「起立、気をつけ。礼」など日本の規律正しい学校生活に慣れるのは大変だった

子供というのは何でも覚えるのが早いですから、彼も日本人の子供の中に混じって、漢字もすぐに覚えていったのでしょうね。

中学は、男子の進学校である修道中学校にトップクラスの成績で入学しました。

これも「天才!」と思わせるエピソードですね。


広島県修道中学校・高校

しかし父の転勤で、翌年1学期末に修道中学校を辞め、アメリカに戻ります。

アメリカでは、ノースカロライナ州チャペルヒルに住み、いったんは地元の公立校に入学しますが、すぐにデューラム市の私立校に転校します。そしてここで1年飛び級をしたというのですから、やっぱり、優秀だったんですね。

幼い頃から「モーリーは天才」 というのがよく分かります。

 

モーリーロバートソンの高校はどこ?富山?

その後、父親の転勤でサンフランシスコへ転居し、現地の公立高校に入学しますが、やはり日本に戻りたかったのか、広島の修道高等学校に留学生として戻ってきます。

ところが、当時流行っていたディスコに行くなどして「不良」の烙印を押されてしまい、自主退学になります。理由は

甘いメロディーとけたたましいエレキギターに酔うライフスタイルを修道学園は「不良」と認定。

矢沢永吉の真似をしてリーゼントのパーマをかけ、広島市の名門・修道学園を退学させられたほどだ。

とモーリーが語っています。

広島の修道高校をやめた後、モーリーは母の実家がある富山県高岡市に移住し、富山県立高岡高等学校に転入を希望します。

ところが学校がこの転入に難色を示し、しばらくの間は聴講生として通学していました。しかし、その後に編入を認められ るようになりました。

 

モーリーロバートソンのは母どんな人?

、「母の実家がある富山県高岡市」と書いたように、実はモーリーロバートソンの母は日本人です。名前はロバートソン黎子(蒲田麗子)さんといいます。

アメリカのバージニア大学に留学中に、同じ大学部の医学部に通っていた彼の父親と知りいます。

その後帰国した彼女は毎日新聞社に入社し、その後は女性初の外信部記者となりました。

彼もお母さんも相当優秀な人だったようですね。

 

モーリーロバートソンは若い頃パンクロッカーだった?

ところで、彼は高校当時、こんなことに悩んでいたようです。

日本の集団主義に馴染んだら、親の仕事でアメリカに転校となり、今度は個人主義の中に放り込まれ、途方に暮れる、というような変遷を繰り返していく。

日本は勉強のレベルが高いけれど教科書の内容が箇条書きみたいで親切じゃない、アメリカの教科書は百科事典みたいにぶ厚いけれど、教師は日本みたいに親身に生徒のことを考えてくれない、というようなお互いの良いところ悪いところにぶち当たるたびにモーリーは悩み、戸惑い、怒っていく。

そんな彼を癒やしてくれるのは矢沢永吉で、次第にロックにのめり込んでいくようになります。そして、地元のパンクバンドのLIVEにも行くようにになり、自分でもバンドを結成するようになります。

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モーリーロバートソンは若い頃「フリクション」に出会った

その当時彼が好きだったのがパンクバンドの『フリクション』。今の50代以上でその当時パンクが好きだった人の間では有名なバンドです。

上の画像はその「フリクション」というバンドのベースのレック(右)とモーリー・ロバートソン(左)。

高3の夏、東京・お茶の水の駿台予備校の夏期講習に通った。炎天下で冷房のない日本の夏。御茶ノ水駅と駿台の校舎を行き来しながら、ウォークマンにフリクションのカセットを入れて聴いた

マクドナルドの中で聴き続け、配られたプリントに目を凝らし、予習と復習もした。エレキギターがたくさん並ぶギター・ショップを毎日1時間ハシゴして一本一本眺めながら、何も買わなかった。

再びフリクションを聴いた。エレキギターはケースにロープで封をしてあった。

母親との約束で大学受験が終わるまで弾かないことになっていた。

翌年の春、東大とハーバードほかに同時合格を果たした。二ヶ国語で受験勉強をする異常な集中力はイヤフォンから繰り返し流れるフリクションの音に裏打ちされていた。

 

「フリクション」というバンドがとても好きで、パンクやロックが彼の受験の時の心の支えであり、パワーの源だったようですね!

 

「パンクなのに東大に受かったら面白いだろ」ということで、みんなに応援されて、一種のネタとして東大を受験した。

と言いますが、受験期間は母にバンドをやらないように言われていたようですね。

 

モーリーロバートソンは若い頃、東京ロッカーズ(リザード等)も好きだった

彼は「東京ロッカーズ」系のバンドが好きだったようですね。

東京ロッカーズ(とうきょうロッカーズ):1970年代後半に六本木の貸しスタジオ「S-KENスタジオ」を中心として活躍していたバンドの総称。1979年に発売されたアルバム「東京ROCKERS」にて取り上げられた、フリクション、LIZARD、ミラーズ、ミスター・カイト、S-KENの5つが代表的なバンドである。音楽のジャンルとしてはパンク、もしくはニュー・ウェーブ。

今の彼の風体からはちょっと信じられないのですけれど・・・(笑)

『フリクション』もこの「東京ロッカーズ」に含まれます。

 

モーリーロバートソンは若い頃メジャー・デビューをした

東大合格後、彼は実は、プロミュージジャンとしてデビューをします。 

当時山口百恵や松田聖子をプロデュースしていた酒井政利から電話がかかってきてオーディションを受けた。

そして『哀愁ゼミナール』を発売。

しかし売上はあまりパッとしなかったようです。

パンクをやりたいのにメジャーな音楽が求められることに違和感を覚えた

と彼は当時を振り返って言います。

ところで、彼が東大を辞めた理由は、

自分も含め一緒に東大に入学した仲間達が「燃え尽きていた」と語っている。ただひたすら頭に詰め込む受験生時代を送り、その結果やっと東大に合格しても「今からまた勉強して人生を学ぼう」という雰囲気がキャンパスに無く、失望し心機一転ハーバード大学で学ぶことを選んだという

と言います。パンクがやりたいのにメジャー音楽が求められてしまうということも、東大を辞めたいと思う気持ちに拍車をかけたのかもしれませんね。

 

ハーバード大学でも仲間とパンクと即興音楽を組み合わせたようなバンドを組んだりしたようですが、専攻は、電子音楽とアニメーションで、卒業制作は、音と映像のモンタージュ作品という非常にユニークなものです。

ハーバード大学卒業後は、また日本に戻ってきてミュージシャンとしての活動を再開します。

以前筆者は、彼がアメリカで生まれて、20代か30代位で日本に来た人だとばかり思っていました。

でも実のところ、彼は幼少期に日本に来て、日本の小学校、中学校(途中まで)に通っています。つまり「日本語」の基礎を幼少期に学んだということは、彼にとって日本語はほぼ「母国語」と言ってもいいほどでしょう。

また高校受験が日本語で苦労なくできるということは、もうその時点で、なんら私達と変わりません。

日本人の奥さんとも日本語でコミュニケーションを取っているのでしょうね。

奥さんのことについては別の機会にまとめたいと思います。

 

ところでマーティ・フリードマンも日本語が本当に上手な芸能人ですよね。
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