仮面ライダー2号を演じたのは誰?現在も活躍している?何に出てる?

俳優
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いつの時代も人気の「仮面ライダーシリーズ」。

若手俳優の登竜門ともなっているので、子供だけでなく、お母さん世代に人気な特撮アニメとしても有名です。

 

初代仮面ライダーの本郷猛(ほんごうたけし)を演じたのはあの藤岡弘(ふじおかひろし)さんでした。

この『仮面ライダー』は大ブレイクとなり、その次の2号も大いに期待されました。

2号の仮面ライダーは一文字隼人(いちもんじはやと)。

この一文字隼人をを演じた俳優は誰だったのか知っていますか?

そしてその俳優は現在どのような活躍をしているのでしょうか。

早速チェックしていきましょう♪

 

 

仮面ライダー2号:一文字隼人

仮面ライダー2号に登場する一文字隼人(いちもんじ はやと)は、「バッタ」の能力を持つ改造人間です。

 

職業は、女性を決して撮らないフリーカメラマンだったのですが、どういうわけか世界征服を企てる悪の組織・ショッカーに捕らわれてしまいます。

実は、一文字隼人がショッカーに捕らわれる前、彼同様にショッカーに捕らわれてしまった人間がいました。

それが仮面ライダー1号でもある本郷猛を演じた藤岡弘さんです。

 

ショッカーは、捕らえた人間をバッタの能力を持つ改造人間にしてしまいました。

しかし、脳を改造しようとした直前に本郷猛はショッカーたちのアジトから逃げ出すことに成功したのです。

ショッカーたちのアジトから逃げ出した本郷猛は、仮面ライダーとして、ショッカーが送り出す怪人たちを次々に倒していくのです。

ショッカーは自分たちの敵でもある仮面ライダーを倒すため、新たな改造人間を探していました。

 

そこで目をつけられたのが一文字隼人でした。

ショッカーたちに捕らえられてしまった一文字隼人ですが、本郷猛同様、脳を改造される前にショッカーたちのアジトから逃げ出すことに成功しました。

アジトから逃げ出すことに成功したのは、本郷猛のおかげだったのです。

そこで2人は、ショッカーと戦うことを誓い合い、悪と戦って日本を守っていくのです。

 

仮面ライダー2号を演じたのは佐々木剛

仮面ライダー2号を演じていたのは俳優の佐々木剛(ささき たけし)さんです。

佐々木さんが仮面ライダー2号を演じるきっかけとなったのは、仮面ライダー1号を演じた藤岡弘さんが足を負傷してしまい、復帰の目途が立たなかったためです。

 

仮面ライダーのプロデューサーから、「ぜひ仮面ライダーに!」と声がかかったのですが、佐々木さんと藤岡さんは劇団時代の仲間だったので、佐々木さんは仲間の主演作を奪うようなことはできないと、オファーを一度は断ります。

しかし、仮面ライダーのプロデューサーで、佐々木さんの代表作ともなった『柔道一直線(東宝・TBS)』というドラマのプロデューサーも務めた平山亨さんに、恩を返したいと考え直した佐々木さん。

 

そこで、藤岡さんが復帰するまでの期間限定ということで約束をし、仮面ライダー2号として活躍することとなりました。

 

「この作品の主役はあくまでも藤岡であり、自分は復帰までの代役」

と割り切って役を演じるその男気は素晴らしいですよね。とてもカッコいいです。

 

佐々木さんが仮面ライダーを演じて数か月後、藤岡さんが怪我を乗り越えて無事に復帰を果たしました。

その際スタッフは、

「ぜひダブル主演で引き続き出演をしてください」

と懇願したようなのですが、それでは当初の約束と違ってしまうので、これを拒否したのです。

 

「藤岡くんがカムバックするまでという約束で引き受けたのだから、当然、藤岡君に返すべきだ。自分がいたままでは、彼が付録のようになってしまう」

とスタッフに告げたのだとか。非常にカッコいいエピソードですよね。

以下はそんなカッコいいセリフを述べた当時の佐々木さんの画像です。

とてもイケメンな仮面ライダーですよね!右手のヒジを見てください。

ここを見るだけでも、筋肉がムキムキなのがわかりますよね。

 

実は佐々木さんが一文字隼人を演じていた時期は、仮面ライダー2号の他にもドラマのレギュラーを2本持っていて非常に多忙だったのです。

そのストレスから、円形脱毛症になってしまい、それをカモフラージュするためにカツラをかぶって役に望んでいました。

しかし、仮面ライダーという役柄は、アクションシーンやジャンプシーンが非常に多く、そのたびにカツラがズレてしまっていたのだとか。

カツラを直す時間がもったいないと感じた佐々木さんは、カツラの上にヘルメットや帽子を着用することで落ち着いたのです。

 

仮面ライダー2号はヘルメットや帽子着用のシーンが多いとされていますが、これがその理由です。

「これは仮面ライダー何号かな?」と疑問に思ったときは、ヘルメットや帽子を着用しているか否かで判断できそうですね。

 

佐々木剛のプロフィール

本名:福井憲雄(ふくいのりお)
生年月日:1947年5月7日
出身:新潟県
身長:172cm

 

幼少期、佐々木さんは非常に病弱な子供だったので、見かねた両親が空手や柔道などを習わせました。幼少期の頑張りもあったのか、現在は柔道初段、空手初段という実力の持ち主です。

地元の高校を卒業後は、俳優・赤木圭一郎さんに憧れて俳優になるために上京し、東宝芸能学校に入所します。

1968年、当時の芸名八代悠として、ドラマ『開化探偵帳(NHK)』で俳優デビューを果たし、1970年、『柔道一直線(東映・TBS)』の出演時より、芸名を今の「佐々木剛」に改めました。

 

「佐々木剛」って本名っぽいですが、佐々木さんの本名は、福井憲雄(ふくい のりお)です。(本名と芸名が似ても似つかないですね。)

どういう理由でその芸名になったのかが不思議ですが、明らかにされていません。

実は佐々木さんは過去にも改名をしていたことがあります

 

佐々木剛は過去に改名していた?理由は?

佐々木さんが改名した経緯を見ていきましょう。

佐々木さんはもともと「八代悠(やしろ ゆう)」という芸名で芸能界デビューを果たしています。

この「八代悠」という芸名は、師匠の高垣葵さんから命名されたものです。

そんな有難い芸名であるのに、なぜ改名をしたのでしょうか。

 

まだ八代悠という芸名だったときに、彼の知名度を一気に上昇させた『柔道一直線(東宝・TBS)』というドラマに出演が決まりました。

このドラマは、柔道家の多くが影響を受けたとされる漫画の実写版で、1967年~1971年にかけて放送された人気ドラマです。

佐々木さんはこのドラマ内で、主人公のライバルという非常に重要な役どころを演じたのです。しかし、「八代悠」という芸名では弱そうと感じ、悩みに悩み、このドラマの放送局・東宝の企画部長に改名を相談します。

 

企画部長が出してきたのは、宮本武蔵のライバル・佐々木小次郎から名前を取り、「佐々木」という姓でした。

名前の「剛」は、「剛(ごう)」という響きがカッコいいという理由だったのですが、同じ事務所に若林豪(わかばやし ごう)が既におり、同じ読みだと紛らわしいという思いから、「剛」と書いて「たけし」と読むことにしました。

 

佐々木剛の人生の転機

ドラマ出演時に結婚し3人の子供の父親になった佐々木さん。

順風満帆な人生を歩んできた佐々木さんですが、1981年34歳のときに事件が起こります。

 

事件が起こったその日はとても寒い日でした。

自宅でストーブを付けながら深酒をしていた佐々木さん。良い感じに酔っぱらってそのまま眠ってしまいました。

運悪くそのストーブの上に洗濯物のタオルが落ちてしまい、当時自宅だったアパートを全焼させてしまったのです。

佐々木さん自身も、からだの7割にやけどを負ってしまいました。

妻子が実家でお泊りをしていたことだけが、不幸中の幸いでもありました。しかし、からだの7割がやけどという状況ですから、治療は非常に困難なものでした。

集中治療室に入り、皮膚移植を何度も繰り返しもしました。

 

入院生活は実に8か月にも上るものだったので、治療費はもちろん、火災の修繕費用などを含めて、多額の借金をせざるを得ませんでした。

俳優の命でもある顔にもやけどを負ったので、今後俳優としては生きていけないと感じた佐々木さんは、声優業に転身しようと試みます。

しかし、そう上手くもいかないのが世の中の性というものです。

 

そのため、俳優業を一時引退し、一般人としてアルバイトをいくつも掛け持ちして生活費を工面する生活を送りました。

多いときで1日16時間も働いて、妻と3人の子供のために汗水垂らして頑張っていました。

しかし、「お金の切れ目が縁の切れ目」という言葉もある通り、きちんと仕送りはしていたものの、妻とは離婚することになってしまったのです。

 

ホームレス状態で妻子とも別れ、途方に暮れていた佐々木さん。

一時は自殺も頭をよぎったのだとか。

 

佐々木さんの窮地を救ったのは、劇団時代から仲間として共に闘ってきた石橋正次さんと俳優仲間でした。

彼らの協力により、佐々木さんは俳優として復活することができたのです。

なんとも波乱万丈な人生ですよね。

 

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仮面ライダー2号を演じた佐々木剛の現在

仮面ライダーは時代を問わず愛されているキャラクターなので、数十年経った今も、過去の仮面ライダーがサプライズ登場することもあります。

佐々木さんも例外ではなく、1984年に仮面ライダー2号としての役目は終えているのですが、その後もちょい役で仮面ライダーに出演を果たしています。

また、仮面ライダー2号として声優で登場したりもしています。

なんでも、気心知れたスタッフと会うのがうれしいという理由で、仮面ライダーの出演オファーは絶対に断らないのだとか。

最近では、

2018年に公開された映画『劇場版 炎の天狐トチオンガーセブン 闇魔堂!地獄の大決戦!!』でナレーションを務めたのを最後に、表舞台から姿を消しています。 

 

しかし、実は2012年より、東京都内で「バッタもん」という居酒屋の経営を始めたというのです。

俳優の仕事は、好きは好きなのですが、好きだけでは食べてはいけません。

そこで、仮面ライダーファンが集まる場所を提供できたら…という思いで居酒屋をオープンさせたのです。

佐々木さんに限らず、芸能人が自身のネームバリューを利用して、飲食店を経営するのはよく聞く話です。

しかし彼らは、あくまでもオーナーとして経営を行っているだけで、実際に現場で働いているわけではありませんよね。

「バッタもん」はそこが違うのです。

なんと、佐々木さんが店員として働いており、佐々木さんの手料理をファンが食べることができるのです。

 

「バッタもん」の人気メニューは卵焼きだということなので、佐々木さんのファンの方は一度お店を訪れてみてはいかがでしょうか。

 

「バッタもん」の基本情報を載せておきます。

・住所…東京都板橋区大山東町28-6 ダヴィンチ板橋B1F
・電話番号…03-3962-1825
・営業時間…17:00~23:00
・定休日…月曜日、火曜日

 

まとめ

今回は仮面ライダー2号を務めた佐々木剛さんについてまとめました。

藤岡さんへの態度であったり、仮面ライダーシリーズのオファーは絶対に断らないという態度であったり、とても礼儀があって恩義正しい人です。

そんな佐々木さんでも、自分の不注意で自宅全焼、妻と離婚など、波乱万丈な人生だったということで、少し切なくもなってしまいましたが、今は居酒屋を経営して、日々ファンの方との交流を楽しんでいるようです。

佐々木さんのファンの方、仮面ライダーのファンの方は、ぜひ一度「バッタもん」を訪れてみてはいかがでしょうか。

 

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