志村けんの実家は?懐かしの東村山音頭と若い頃(画像あり)

お笑い

志村けんさんが、新型肝炎のため入院したというニュースが飛び込んで来ました。

私ごとですが、私は小さい頃『8時だョ!全員集合』で育った世代で、志村さんが「ザ・ドリフターズ」に入る前から見ていました。

途中から新人として、志村さんが「ザ・ドリフターズ」に入って来た時は、とてもインパクトがあり、今でも記憶になります。

病状が心配される志村さんですが、コメディアンとして類まれな才能を持つ彼がどんな所で育ったのか、また彼の若い頃にヒットした「東村山音頭」について振り返ってみたいと思います。

 

志村けんの実家はどこ?

志村けんさんの実家は「東京都東村山市(とうきょうとひがしむらやまし)」です。

「8時ダヨ!全員集合」を見ていた人達にとっては既に有名なことですね。

地図情報/東村山市

東村山市は東京都の多摩地域北部にある市で、人口は約15万人です。

西武新宿線で高田馬場ままで特急で21分とロケーションもよく、首都圏に勤務する人達にとってのベッドタウンとして開発が進められた市です。

ただ「東村山」が「市」になったのは1964年で、志村さんが生まれた時には「東京都北多摩郡東村山町」でした。

 

志村けんの実家の家族は?

志村けんさんの生年月日は1950年2月20日。現在(2020年3月)70歳です。

ちなみに、「志村けん」は芸名で、本名は志村 康徳(しむらやすのり)さんといいます。

 

小学校教諭だった父の憲司(けんじ)さんとと母の和子(かずこ)さんの三男として生まれました。

実は志村さんの芸名「けん」は父親の憲司さんの名前からとったものだそうです。

父親の憲司さんは教師ということもあり、非常に厳格で、家庭内は重苦しい雰囲気だったといいます。

 

志村けんの学歴は?

志村さんは「東村山第二中学校」を卒業後、「東京都立久留米高等学校」に進学します。

この高校は当時、新設校で志村さんはこの学校の一期生になることとなりました。

高校を卒業後、彼は本格的にお笑いの道に進むことになるのですが、上の2人の兄は大学に進学し公務員になったのとは対照的です。

 

実は高校進学前の中学生の頃から、志村さんは本格的にお笑いを仕事にしようと決心しました。中学の文化祭では、よくコントを披露していたそうです。また、所ジョージさんの遠戚とバンドを組んだこともあったそうです。

高校時代はサッカー部に所属し、ゴールキーパーとして活躍していました。ちょっと意外ですね。

 

付き人から「ザ・ドリフターズ」へ

志村けんさんは高校卒業間際に、今は亡きいかりや長介さんの家に押しかけ、弟子入りを志願しました。しかし、当然いかりやさんからは門前払いの扱いをされてしまいます。

それでも食い下がったためその根性が買われ、ローディーの欠員が出たらということで、「仮採用」になります。

その後、志村さんは加藤茶さんの付き人になりますが、一年ほどで脱走してしまいます。


加藤茶(左)と志村けん(右)

そして1972年、22歳の時にお笑いコンビ・「マックボンボン」を結成し、「志村健」の芸名で芸能界デビューを果たします。しかしこのコンビは問題があり、結局自然消滅してしまいました。

その後、志村さんは再び「ザ・ドリフターズ」の付き人に戻ります。そして、1973年12月に「メンバー見習い」として「志村けん」の名前で「ザ・ドリフターズ」に加入することになりました。

翌年1974年3月に故荒井注さんが「ザ・ドリフターズ」から脱退したため、志村さんは4月に正式メンバーとなりました。この時、志村さんは24歳でした(まだ若かったのですね)

 

志村けんの「東村山音頭」

「ザ・ドリフターズ」のメンバーになってから、実は志村さんのギャグは他のメンバーと比べるとあまりウケず、スランプをかかえていました。

しかし、彼の転機になったのは、『8時だョ!全員集合』の「少年少女合唱隊」のコーナーで「東村山音頭」を歌ったことで、一気にブレイクをします。

ちなみに『8時だョ!全員集合』とは・・・

『8時だョ!全員集合』(はちじだョ!ぜんいんしゅうごう)は、1969年10月4日から1971年3月27日、および1971年10月2日から1985年9月28日までTBS系列で放送されていたTBS製作のお笑い番組・公開バラエティ番組である。全803回。
(引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/8%E6%99%82%E3%81%A0%E3%83%A7!%E5%85%A8%E5%93%A1%E9%9B%86%E5%90%88

当時は大人気番組で、毎週土曜日の夜8時から放映されていました。

いくつかの小コント・コーナーに分かれていたのですが、彼の「東村山音頭」は「少年少女合唱隊」というコーナーで披露されていました。

「東村山音頭の「4丁目」と「3丁目」はいわゆる普通の民謡なのですが、「1丁目」になると、いきなり「ラップ調」になり、時には服を脱いで派手で露出度が高い衣装で、エキサイトしながら歌うのが、その当時の人達にとてもウケていたのです。

そこから「ザ・ドリフターズ」の中で志村さんは存在感が一気に大きくなります。

そして、1979年には加藤茶との「ヒゲダンス」、1980年には「♪カラスの勝手でしょ〜(童謡『七つの子』の替え唄)」を歌い、大人気を博しました。

 

 

志村けんの若い頃

今ではすっかりおじいちゃんの顔になってしまった(失礼m(_ _)m)志村さんですが、若い頃は、凛とした顔立ちで、眉毛も濃く、男らしい顔立ちです。

若い頃は比較的、ロン毛だった印象が記憶にあります。

ずっと独身を通してきた志村けんさんですが、若い頃には色々な女性との噂がありました。

例えば、歌手の大場久美子(おおばくみこ)さん、タレントの石野陽子(いしのようこ)さん、そして女優の優香(ゆうか)さん。

この3人の女性との交際期間は長く、特に優香さんとは結婚するのではないか?と世間では見ていました。

しかし、大場久美子さんは2000年に6歳年下のダンサーと、優香さんは俳優の青木崇高(あおきむねたか)さんと2016年に結婚しています。

石野陽子さんは2019年7月に放映された「人生超いろいろ会議」で事実婚の相手がいると明かしています。

 

志村さんは、芸能界ではとても優しくて面倒見が良いと言われています。またお金にケチケチせず、気前がいいという評価もあります。

バカ殿のイメージが強かったりもしますが、けしてブサイクではありませんし、中年太りをしていたわけでもありません。

今よりも若い頃は、かなり女性達からモテたのではないかと思います。勿論、現在も女性たちから引き合いは多いことでしょう。

 

まとめ

けして「生涯独身主義」ではないという志村さん。「子供も一人くらいは欲しい」といった発言もしたとも言われています。

体調がよくなり退院して、またお笑いの現場に復帰し、私達の前に早く現れてほしいと思います。

そして、現在交際している女性と幸せな暮らしをしてほしいと願っています。

 

同じ「ザ・ドリフターズ」のメンバーだった加藤茶さん→ 加藤茶の結婚歴 元嫁と今嫁の比較

 

 


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