先日、ジャニーズに所属していたタレント・田原俊彦さんのことについて書きました。
その田原さんと一緒のグループ「たのきんトリオ」のメンバーだった野村義男(のむらよしお)さんのことについて、今回まとめてみたいと思います。
令和の時代となり、筆者は過ぎ去った昭和の時代を最近よく思い出します(笑)
野村義男のプロフィール
アイドル時代の野村義男
それでは、「野村義男って誰?」という平成世代の皆さまのために、彼のプロフィールを簡単にまとめたいと思います。
知っていらっしゃる方はこの「プロフィール」の項目については読み飛ばして下さいね。
野村義男の身長・体重はどれくらい?
それでは、『芸能人の身長特集』ブログらしく、まずは彼の身長から先に書いていきます。
野村義男さんの身長は174センチです。
先日書いた田原俊彦と1センチしか変わりませんね。もっと身長が低く見えるのは、丸顔だったからでしょうか。
体重については残念ながら公開されていません。
デビュー当時よりはちょっとぽっちゃりした感がありますね。
田原俊彦が59キロから61キロを維持しているとのことでしたが、野村義男はひょっとしたらこれよりも10キロ近く体重があるかもしれませんね。
勿論、体重が70キロあったとしても、BMI的には「普通体重」という判断になり、問題はありません。
野村義男の年齢と学歴
野村義男の生年月日は1964年10月26日で、東京の中野区に生まれます。
今年で55歳になる彼ですが、お姉さんがいます。(このお姉さんの影響で小学校5年生からフォークギターを始めます。)
「たのきんトリオ」(野村義男は左端)
その翌年12歳の時に、代々木公園で遊んでいた時にジャニー喜多川に英語で(なぜ?笑)スカウトされたのがきっかけで芸能会に入りました。(なお、この時、ジャニー喜多川はあの川崎麻世を引き連れていたとのこと)
彼は中学校は中野区立中の富士見中学校(現在「南中野中学校」)を卒業しますが、高校は「明治大付属中野高校」の定時制に通います。
明治大付属中野高校といえが、堀越学園と同様に芸能人が多く通っていた高校ですね。
なお彼の同級生には、同じ「たのきんトリオ」の近藤真彦さんや、初代「いいとも青年隊」のメンバーだった野々村真さんがいます。
野村義男とザ・グッバイ
野村義男といえば、筆者が思い出すのが『ザ・グッバイ』という彼のバンドのことです。
野村義男は1979年に出演した『3年B組金八先生』がブレイクし、トシちゃんこと田原俊彦と、マッチこと近藤真彦とともに『たのきんトリオ』というグループで活躍するようになります。
しかしその後、彼は『ザ・グッバイ』(The Good-By)』というバンドを結成します。そこでギターを弾きながらボーカルを担当します。
このバンドができた経緯ですが、当初、
ジャニー喜多は、田原俊彦や近藤真彦のようにレコードデビューをさせて、たのきんトリオ全員を歌手として大成させたいと考えており、野村にも早い時期からデビュー話を熱心に説いていた。
ところが野村義男はこれを最初、拒否します。
しかし、野村は当時から将来はギタリストとして活動することを考えており、プレイヤー志向が強かったため、アイドル歌手としての活動にも興味がなかった。
それでもレコードデビューをと食い下がるジャニー喜多川に対し、
「バンド形式なら」「自分がメインボーカルではなく、ツインボーカル形式なら」などの条件を次々と提示したところ、いずれも快諾されたため、野村の本格的なデビューが決定する。
バンドメンバーは、最初は野村さんのソロデビュー時のバックバンドとしてオーディションで選ばれたメンバーでした。
当時は「ヨッちゃんBAND」と呼ばれ、その後「野村義男 & The Good-Bye」になり、デビュー時に「The Good-Bye(ザ・グッバイ)」に変更されました。
ザ・グッバイは「気まぐれ One Way Boy」でデビューし、シングル15枚とアルバム9枚をリリースし、1990年4月1日に活動を休止します。
野村義男がギターを始めたきっかけ
彼は小学生の頃はプラモデルを作るのが好きな男の子でしたが、彼のお姉さんがフォークが好きで毎日、フォークギターを弾いていました。
ある日、彼が小学校5年生の時、そのお姉さんに部屋に呼ばれて、無理矢理ギターコードを覚えさせられ、強制的に弾かされるようになったのがギターを始めるきっかけでした(笑)
中学に入り、好きな女の子が下敷きにエレキギターを持った男性の切り抜きを透明な下敷きに入れているのを見て、その時初めて、「エレキギターの存在」を知ったそうです。
ここから彼のエレキ・ギター人生が始まることになります。
野村義男のギターの腕前は?
さて、その肝心の彼のギターの腕前はどうなのでしょうか?
浜崎あゆみや近藤真彦のバッグバンドでギタリストとしてプレイしていたので、それなりに評価されていたのではないかと思うのですが、ネットの評判はちょっと辛口です。
プロとして普通です。ベスト50にも入らないと思います。
テクニック、上手さなら、上に数が数えられないくらいいます。
元アイドルという肩書にしては上手でしょう
良くも悪くも優等生と言われてるようです。
クセが無さすぎて、これがよっちゃんのプレイだ!ってものが無いです。
技術的にもフレーズの創造性でもサウンドメイクにしても、欠点が無いのですが。
これは!!!って天才的なものや、オリジナリティーのあるものも無いです。
弾くのは上手いと思います。
中には評価をする人達もいます。
上手いですよ。チャーが認めるぐらいだから。ESPで作った蝶々形のギター今も使ってるねかな~
チャー(Char)というのはギターの大御所で、以前ご紹介したこともある「RIZE」のジェシーのお父さんでもあります。
Charに出会ってなかったらエレキもこれほどまでにハマらなかった
..という位、チャーを尊敬している野村義男さん
ネットでの、野村さんのギタリストとしての評判を見ていると、
「ギターの腕前はそこそこ。強い個性はないがそつなく弾ける。が、上手なギタリストはその他にもたくさんいる」
といった感じのことを言う人が多くいる印象です。
そして、もう一つ。野村さんのギタリストとしての特徴はこのコメントに集約されていると思います。
技術やセッションギタリストとしての経験もさることながら、とにかく「喋り」が達者。うまい・・・大概笑わされてしまいます。
ROLLYと並んで「異色のギターヒーロー像」を確立している。
番組とか見ると「ギタリストに似た、なにか別の人」に見えてくる
確かに、YouTube にあげられている彼のトークやギター講座のコメントを見ると、とてもトークが上手です。
「野村義男のギターストーリー NO.1 Yoshio Nomura Guitar Story NO.1」
この他にも、彼のギターの講習動画を見ていると、ギターのテクニックもさることながら「人を笑わせるのが上手」だなと感じさせられます。
野村義男はジャニーズからいつ独立した?
ところで野村義男はジャニーズからいつ、どんなタイミングで独立したのでしょうか。
独立したのは1990年、彼が26歳の時でした。
「ジャニーズから独立すると芸能界から干されるのでは?」とも噂されていますが、彼の活躍ぶりを見ると、芸能界から干された様子はありません。
野村義男がジャニーズから円満に独立した理由は?
独立した後、彼は、ジャニーズの系列子会社「ジャニーズ出版」に移籍します。つまり、一回この会社に就職したということですね。
そしてこのジャニーズ出版を退職後に個人事務所(「コンポジラ」)を設立したということですから、ジャニーズをやめてすぐに独立ということではなく、ワンクッション置いていたということになります。
上手なやり方ですね。
だから円満に独立でき、今でもミュージシャンとして活躍できているということで、田原俊彦とは対照的です。
勿論、彼のギターが十分プロとして通用し、誰もが認める腕前だったからということも、大きな要因だと思います。
野村義男と浜崎あゆみ
さて、野村義男さんは浜崎あゆみさんのバックバンドのギタリストとして長くつとめていたのは有名なところですね。
先ほどご紹介した「野村義男のギターストーリ」という動画 で、彼は浜崎あゆみのバッグバンドについて
「あそこはキツイです」
「何がキツイかというと一本のギターでできない」
「ギター、5、6本持っていきましたが全部チューニングが違います」
と話しています。
そして更にきつかったのは、ギターを持ち変える時間がないので、
ギターを体につるして、さらにダブルネックギターを持ち、交互に弾いていたりしたこともあるそうです。
確かに、浜崎あゆみの曲は複雑ですし、ギターに求めるものも大きかったのでしょうね。
しかしそのおかげで、彼は色々なことに対応できるようになったと言っています。
野村義男の現在
もうすぐで55歳になる野村義男さんですが、1995年にセクシー女優だった野坂なつみさんと結婚しました。
奥さんとの間に二人の娘がいます。(こちらも田原俊彦と同じですね!)
現在もミュージシャンで現役です。
2019年の夏はバンド「パール」の元ボーカルだった田村直美とライブコンサートの予定など入っています。
芸能歴42年を過ぎた野村義男さん。まだまだ現役です!
同じ「たのきんトリオ」のメンバーだった田原俊彦の現在の収入はどれくらい?嫁と娘とは別居?