CHEMISTRY(ケミストリー)の堂珍嘉邦(どうちんよしくに)が2018年末に離婚発表しました。
ネットでは「子供5人も産ませておいて離婚!?」と驚の声も聞こえていますが、前々から離婚危機の噂はありました。
なぜ離婚してしまったのかという理由と、離婚によって嫁の敦子さんと子供はどうなるのか調べてみました。
堂珍嘉邦の離婚理由は?
2001年にボーカルユニット「CHEMISTRY」としてデビューし、2012年7月25日からソロ活動も展開していた堂珍嘉邦。
堂珍嘉邦のプロフィール 本名:堂珍嘉邦(どうちんよしくに) 生年月日: 1978年11月17日 出身地:広島県安芸高田市 血液型:O型 身長:174cm 活動:2001年ー |
そしてデビューから3年後の2004年にできちゃった結婚をします。
結婚相手は森田敦子(もりたあつこ)さん。結婚前は原田梓帆(はらだしほ)という芸名でキリンビールのキャンペーンガール(2000年)をしたり雑誌「JJ」の専属モデルとして活躍していました。
敦子さんのプロフィール 本名:敦子(旧姓:森田敦子) 生年月日: 1978年7月17日 出身地:奈良県 橿原市 血液型:O型 身長:168cm 活動: 1999年ー |
2004年の12月からは30代主婦層向けファッション誌『VERY』の専属モデルとなり(2006年には表紙モデルをつとめるようになる)ます。この雑誌で、子育てを含めたライフスタイルが特集され、幸せそうなミセスぶりを見せてくれています。
子供も5人おり、子育ての経験を書いた、「「甘え上手」な子育て論」や「しあわせな子育てのかんたんなルール」の本も発行しています。
『VERY妻』と揶揄されながらも、まさに<幸せなミセス>だったはずの彼女に何があったのでしょうか?
堂珍嘉邦の離婚発表
堂珍嘉邦は2019年の1月1日、オフィシャルサイトで離婚発表のコメントがあげられました。
この度、私堂珍嘉邦は昨年末離婚した事をご報告いたします。
この様な形に至るまで、沢山の時間をかけ話し合って来ましたが、
お互いの将来を考え別々の道を選択するという結論に至りました。
今後はお互い親として変わらず子供達の成長を見守ってまいります。
これからも音楽活動により一層力を入れて邁進していく所存です。
堂珍嘉邦
実は離婚の危機については前々から噂があったのですが、「沢山の時間をかけ」という部分からも、離婚に至るまでの道のりが長かったことがうかがえます。
堂珍嘉邦の離婚の理由と経緯
それでは二人の離婚の経緯について順を追って見ていきましょう。
二人の離婚危機は既に2011年の後半頃から出ています。
堂珍さんの姿をまったく見かけなくなったんですよ。それに車庫から彼の車がなくなって、いつも奥さんの車が1台止まっているだけになった。
そして翌年2012年の3月に、
敦子さんが“引越しすることになったんです”ってお一人で挨拶に来て…
堂珍夫妻と子どもたちが暮らしていた世田谷の豪邸は売却に出されます。
その一ヶ月後の2012年の4月。CHEMISTRYの活動休止の発表をした沖縄公演と同じ日に、嫁の敦子さんは4人の子供を置いて家を出て行ってしまいます。
敦子さんは特に親しい人達にこう打ち明けていた。
「長く話しあったんですけどね。主人と距離を置こうと思って…」
二人の気持ちのズレについて、モデル仲間がインタビューに答えています。
「ご主人は、敦子ちゃんに家庭に入ってほしかったみたい。敦子ちゃんが仕事の間、ベビーシッターを頼むのにも反対だった。かといってご主人はあんまり家にいないので、彼女は仕方なく奈良の実家からお母さんを呼んでは、子どもを預けていた」(モデル仲間)
また、音楽関係者もこのような答えをしています。
「堂珍の当時の事務所も、奥さんが表に出るのには反対だったそうですが、堂珍がそれを伝えても、奥さんは聞く耳を持たなかった。また堂珍は、奥さんが六本木で飲み歩いている、夜遊びが激しいと周囲にこぼしていました」(音楽関係者)
これを読むと、「外に出たい嫁の敦子さん」が離婚原因という印象を持ってしまいますが、彼女がまだ円満に行っていた頃のインタビューには
「夫は忙しくて、ほとんど家にいることはありません。私もそれを夫に期待していない。それは何も諦めているわけではなく、大事な部分はそこじゃないと思っている」
と答えているように、夫である堂珍嘉邦が仕事が忙しく、嫁の敦子さんにあまりかまってやる時間がなかったようですね。夫婦間のコミュニケーションがうまく取れていなかったのではないでしょうか。
そして、子供のことをすべて任せたい彼の気持ちが、彼女にとって次第に負担になっていったのではないかと予想されます。
しかしその後は話し合いで二人は離婚の危機を乗り越えたと言われました。
「環境の向上」を希望したことから、神奈川県に引っ越し、敦子夫人から第5子の妊娠したことで関係が修復したと思われます。
ところが、一方で、
「いま敦子は子どもたちと鎌倉に住んでいますが、その家には、堂珍の持ち物は何一つないそうです。堂珍は事務所が用意した都内のマンションに暮らしています」(前出・夫妻の知人)
とあるように、二人はずっと別居をしており、仲が戻ったものとは言い難い状態にあったようです。
しかし、敦子さんは2014年2月に第5子を出産をします。
妊娠、出産ということは二人の仲が修復されたのかと思いきや、
敦子夫人から「生まれる前に離婚をしてほしい」
と切り出されたと言われています。
離婚を考えているのに夫婦生活ができるのはちょっと不思議です。
2014年当時の週刊文春の堂珍嘉邦の父親へのインタビューでは、
広島にある堂珍の実家を訪ねると、父親が嘆息しながらこう語った。
「離婚については、本人も敦子さんも何も言わんのです。敦子さんから私に、(第5子が)生まれたという電話はありましたが、男とか女とか、子どもの名前とか、一切私に言わなかったね。
性格の不一致というんか、敦子さんはちょっと性格がきつくて、嘉邦は家に帰っても、針のムシロの上にいるような状態だったんじゃないか。(離婚報道があって)正直ホッとしています」
とあります。
自分の子供はひいき目で見てしまうものですが、堂珍嘉邦の口から嫁に対するキツさを親に日頃こぼしていたのだろうということが想像できます。また実際、この父親から見ても、息子の嫁の気の強さを感じ取っていたのでしょう。
そして2012年の自宅売却、別居から約6年。2018年の末日に二人は「離婚」。
スポーツ好きで活動的、外や仕事にも出たいというアウトドア派の嫁の敦子さんと、ひたすら地味に音楽に専念したいインドア派の堂珍嘉邦とでは価値観の違いがあり、その違いが結局は埋められなかったということでしょうか。
堂珍嘉邦の嫁の敦子はどうなる?
それではこの離婚で嫁の敦子さんはどうなるのでしょうか?
既に彼女は芸名を「堂珍敦子」から「敦子」に変えています。
彼女のブログでも、「離婚」という文字は出さないものの、「敦子」と名前が変わったことを報告しています。
この度新たな出発をすることとなりました。名前も敦子と変わり、心機一転今後も感謝の心を忘れずに子供達とともに前を向いて頑張っていきます!そんな私の奮闘記をブログを通して楽しんでいただけたら幸いです。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
皆様にとって幸多き一年となりますように敦子
今後もモデルとして芸能界の仕事を続けていくということですね。
堂珍嘉邦の嫁の敦子は助産師に?
実は彼女はモデル以外にも、別の仕事にもチャレンジしようとしています。
それが「助産師」です。
助産師になりたいと思ったのは、双子を出産した後。もっとたくさんのお母さんと赤ちゃんに関わりたくなったんです。でも、まだ子どもも小さいし通学なんて無理に決まってると、とりあえずベビーマッサージや食育など自宅でとれる資格をいくつも取得したけど……どこか物足りない。5年くらいモヤモヤと悩んでいました。
そのうち40という年齢が見えてきて、人生も折り返し地点。子育ては大事だけど自分の人生をどう生きるか、まだ人生半分あるなら何でもできるはず! と、長男が中学入学、末っ子が3歳で入園というタイミングの去年、看護専門学校に入学しました。
離婚後の将来を見据えてのことだったのでしょうか。いずれにしても39歳から勉強というのは、なかなかできることではありません。
「大変だね」と言われるけど、勉強より家の仕事のほうが遥かに大変(笑)。家事は誰も褒めてくれないけど、勉強は頑張った分だけ結果が出るから! ママ業で鍛えられた体力と忍耐力が役立っていますね。
自分のできる範囲内でなく、未知の世界に飛び込まなきゃ新しい何かは生まれない。子どもたちには、「何歳でも夢は持っていい」「自分の人生は大事にしてほしい」ということを、私の生き方で伝えていけたらと思います。
敦子さんは女優の北川景子も途中まで在籍していた「大阪女学院高校」に通っていました。
大阪女学院高校のはお嬢様校と言われ、また偏差値は62〜68とかなり高く、敦子さんが頭のいい女性であることが分かります。頭がいいからこそ、新たなチャレンジができるというものでしょう。
堂珍嘉邦の子供はどうなる?
堂珍嘉邦には5人の子供がいます。
2004年の12月に第1子となる長男、2007年11月に次男、2009年6月に男女の双子、そして2014年2月末に第5子となる四男が誕生しています。
現在その子たちも、14歳、11歳、9歳、そして4歳になっています。
離婚前から既に二人は別居しており、敦子さんは子供を連れて神奈川で暮らしています。
また2018年の3月1日、都内で行われたセラミックトップキッチン 新『リシェルSI』の発売記念イベントに出演した敦子さんは
「家事は、家族で分担作業。私だけじゃなくみんなで家事をこなしてる感じです」と笑顔。
彼女が言う「家族」というのは、”子供と彼女だけ”で、そこに父親である堂珍嘉邦はいないということが、今になって分かります。
また、彼女のブログには子どもたちのエピソードの記事や写真が見られます。親子とても睦まじく暮らしている様子が分かります。
親権は敦子さんが取ったということでしょう。
子どもたちがいずれも未成年で独立していないので、養育費は堂珍嘉邦が出すということになるでしょう。養育費や慰謝料などの具体的金額は明らかにされていません。
長〜い参道を長男くんの肩車により楽ちん移動した末っ子くん
敦子さんのブログには、2019年に初詣に行った様子の写真があります。
堂珍嘉邦と嫁の敦子さんの溝が埋まらなかったのは残念なことですが、お互いに、また子供たちにも幸せになってもらいたいものです。
↓夫婦には色々な形がありますね…ということで、月亭方正の場合は???↓
「月亭方正はは嫁のおかげで落語家に転身しても評価されているのか」